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原始仏教ガール’s日記

気づけばすっかり仏教徒。 twitter @music_buddha

【学びレポート】日本マインドフルネス学会・第2回大会より

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日本マインドフルネス学会の魅力

 2015年8月29日(土)と30日(日)の2日間、早稲田大学国際会議場において、日本マインドフルネス学会第2回大会が開催されました。今年も一般参加者として参加させていただきましたが、本当に興味深く、勉強になる内容でした! わたしが日本マインドフルネス学会に参加するのは、一昨年の設立総会を含めると今年で3回目。この学会にはほかの学会にはない魅力があると感じます。

 

 その魅力の1つは、学会が「マインドフルネスを実践するとこうなっていくんだ!」と体感できる場になっていること。学会でご発表される先生方や聴衆の多くは、マインドフルネスを研究するだけではなく実践者でもあるので、マインドフルネスで得られる効果を実際に皆、享受していらっしゃいます。そのため、マインドフルな気持ちや態度が学会の会場を満たしているんですよね! 学会自体が一つの「サンガ」のようにも感じます。

 

 

科学は無宗教ではない

 さて、そんな学会でわたしが気になった内容と、自分が感じたことなどを中心に、レポートしたいと思います。

 

 今年の大会のテーマは「マインドフルネスの効果とそのメカニズム」でした。昨年から今年にかけて、マインドフルネス認知が急上昇するとともに、人によって、立場によって、マインドフルネスの解釈がずいぶん違ってきている状況があるそうなんですね。その問題意識から、「そもそもマインドフルネスとは何か、またマインドフルネスから生まれる効果のメカニズムはどうなっているのか」という基本に立ち返ろうというのが大会のテーマとなっていました。

 

 大会の冒頭、大会長の坂入洋右先生(筑波大学)から「東洋的行法の効果とメカニズム」というタイトルで、基調講演がありました。昨年の学会では、「マインドフルネスが宗教から切り離されるということは、仏教がもっている非常に深みのあるもののうちほんの一部しかフォーカスされないということ」というお話を聞いてなるほどと思ったり、一方、「世界的にこれだけマインドフルネスが広がりを見せているのは、仏教色や宗教色を抜いたからだと」いう理由も知ったりしたわけですが、今年の坂入先生のご講演では「マインドフルネスは科学であって、宗教とは切り離されているといわれるが、科学というのはそもそも無宗教ではなく、一神教の思想を受けているものである。科学というものは、答えは一つ、神様は全てを知っているという大きな枠組みがある。しかしマインドフルネスのもととなった仏教、つまり東洋的行法では、実践者各個人が主役で、一つの答えがすべての人に当てはまるわけではない。そこが大きな違いである」という説明がありました。

 

 

必要とされているのはアウトカム最大化研究

 今の科学で問題となっているのは、メカニズムが解明されても、実際にそれをやってみると、人によってはまったく効果が出なかったり意味が感じられなかったりということが多いことなんだそうです。それが現代の自然科学の方法論では扱えない根本的な課題だとおっしゃっていました。医学とか心理学などは、人間が対象となっている以上、メカニズムの解明だけに焦点を当てるのではなく、それをどう個々に適応すれば、アウトカム(効果)が最大化されるか、ということも発展させていく必要があるということで、つまりマインドフルネスにしても、やるのが人間である以上、個人差がある、だからみんな同じやりかたでいいはずがないと。それが今後の課題であるという投げかけでした。

 

 その上で、「じゃあ、そもそもマインドフルネスで効果が生まれるメカニズムってどうなっているの」ということについて、心理学、脳科学、仏教学の先生がたからご講演がありました。

 

 

慈悲の瞑想が必要なわけ

 中でももっとも自分の印象深かったのは、仏教学の箕輪顕量先生(東京大学)のご講演です。箕輪先生はマインドフルネスから慈悲が生まれるメカニズムについて「最初は言語を使って自分の呼吸や歩みなどをラベリングして観察していく。その後、言語機能を使わない段階に進んでいき、最終的に無分別の境地になり、その境地を体験すると、自他の区別のない境地に入る。したがって、自己を中心としない価値観が生まれる、それによりマインドフルネスを実践すると思いやりの心も育つのだ」と、そのようなご説明をしてくださいました。

 

 しかし箕輪先生ご自身、「10年以上実践をしていますが、なかなか無分別の世界というのは経験できないものですね。マインドフルネスを続けても無分別の境地に達するには時間がかかります。だから仏教ではわりと早い段階で、慈悲の瞑想をやるのでしょう」ということもおっしゃっていました。「わたしが幸せでありますように。わたしの親しい人々が幸せでありますように。生きとし生けるものが幸せでありますように・・・」と唱えるのが慈悲の瞑想ですが、これによって、思いやりの価値観を自分に刷り込ませているのではないか、ということです。

 

 わたし自身もスマナサーラ長老の本を読んでヴィパッサナー瞑想に取り組み、日々をマインドフルに生きようと思って過ごしていますが、未だ無分別とか自他の区別のない世界というものを経験したことはありません。自分のことのように他人のことを気にすることができるようになる、ということは理屈ではわかりますが、それが体験としてできていない以上は慈悲の瞑想が必要なのね、と改めて慈悲の瞑想の意味を確認する機会にもなりました。

 

 

マインドフルネスは正念ではない?

 それからもう1つ、箕輪先生のお話で面白かったのは、マインドフルネスはヴィパッサナーというよりはサティパッターナ、つまり「注意を振り向ける観察」といったほうが近いのではないかというご指摘があったこと。そしてマインドフルネスの「注意を振り向ける」という特徴を考えると、言語機能を生じさせないで対象を観察することになるので、マインドフルネスは正念ではなくて、正知なのではないかという問題提起があったことです。

 

 近年、一般的には、マインドフルネスイコール正念ということがデファクトスタンダードのようになっていますので、そうではないのでは、というのは、大きな問いかけだなというふうに感じました。面白いですよね!

 

 

「距離ゼロ」「時間ゼロ」のマインドフルネス

 ご講演のあと、指定討論者の熊野宏昭先生(早稲田大学教授)から、マインドフルネスで悩みの消えるメカニズムについて「思考や感情に巻き込まれないようにしたくてマインドフルネスに取り組むが、そのとき思考から距離をおくというメタファーだと、巻き込まれているところから外に出て、対象物を見ている自分が残りやすい。見ているのは誰だ、自分だ、ということになるし、言葉も残る。そうではなく、注意の分割というメタファーで考えたほうがよいのではないか。すべてのことを体全体で感じ、優しい気持ちですべてを包み込むことによって、注意資源が同時に無数に分割され消費される。すると考えるキャパシティーが残らなくなり、思考が生じなくなって、自分の体験に気づいて、反応を止めることによっていつものパターンから抜けることができる。今この瞬間の身体感覚や思考感情に気づくことによって、それに後続する反応を止め、さらにその体験を見つめ続けることによって、自然とピークアウトするまで待つという一連の行動連鎖が起きる。そして、次の行動の選択を「自分」ではなく「世界」が目指す方向性に沿って選択できるようになる。注意が無数に分割されることで、世界と自分との間に分離がなくなる、つまり「距離ゼロ」になるから、関係性の中で「世界」が目指す方向性を選択できるのだ」というお話がありました。

 

 それに関して、広島大学の杉浦義典先生から「マインドフルネスは「距離ゼロ」だけではなく「時間ゼロ」でもあるのではないか。時間が連続しているから苦しみが生まれるのであって、時間を細分化して、一瞬一瞬で物事が終了しているのを感じられれば、苦しむこともなくなるのではないか」というご指摘がありました。

 

 わたし自身、グーグルなど、アメリカのIT企業での取り組みを取材したり調査したりしている中で、「猛烈に仕事が激しく、世界に影響を与えるような企業であるほど、マインドフルネスが実践されている」という印象があって、それはなぜなんだろうと常々考えていたのですが、熊野先生と杉浦先生のお話にその答えがあるように感じました。「距離ゼロ」の観察ができるようになればなるほど、「よりよい世界のために仕事をする」ということが、きっと理屈ではなく体感として、本当にそう感じるようになるのでしょうし、「時間ゼロ」の観察ができるようになればなるほど、多くの仕事を余計な思考にとらわれずにできるようになっていくかなと思います。マルチタスクできないのが人間の脳ですけれども、マインドフルネスによって、より細かい時間の単位でできることが増えていき、1つ1つのことに取り組むときの精度が上がっていく、そういうことなのかな、とヒントをいただいたように思いました。だからこそ、グーグルのような企業ではマインドフルネスが必然なのでしょうし、企業理念として「世界平和を目指す」と言っているのも、無分別の境地から生まれる自然な流れなのかなと感じます。

 

 「距離ゼロ」「時間ゼロ」が実現すればするほど、「自分」という連続性のある妄想へのこだわりがなくなっていくのは間違いないことでしょう。「距離ゼロ」で「時間ゼロ」になると、自分自身も無数に分割され、結果として「自分ゼロ」が実現するのではないかと、そんなふうに思いました。この点は、わたし自身、なんとなく体感していることでもあり、ちょっとうまくいえないんですけど、このゼロに関するお話は、非常に心に残りました。

 

 

マインドフルネスと創造力

 一般参加者からの質疑応答の時間には、「マインドフルネスで創造力やリーダーシップ生まれるメカニズムどうなっているのかと」いう突っ込んだ質問も出ていました。学会理事長の越川房子先生(早稲田大学)からその前に、「マインドフルネスというのがリラクゼーション法とかいわれるけれどもそうではなくて、とらわれから解放され、自由になることではないか」、というご発言がありましたので、それを踏まえて考えると、自由になるからこそ、創造力やクリティビティの高まりにもつながっていくのではないのかなと感じました。マインドフルネスで創造力が生まれるプロセスについては『グーグルのマインドフルネス革命』(サンガ)の解説でも越川先生が触れてくださっています。

 

 ポスター発表のほうでは昨年に引き続き、様々な分野でのご発表がありました。昨年から今年にかけての動向を鑑みると、ビジネスに関する研究も増えてくるのではないかと予想していましたが、ビジネスに関する発表はなく、スポーツ関係、医療関係のものが多かったです。肥満とマインドフルネスという研究もありました。ビジネス関係のものがないのは、学会の研究者の方とビジネスの世界というのはちょっと遠いからなのか、そのあたりはちょっとわかりませんが、来年もまたいろいろな研究を見て、学びたいなと思っています。

 

 長々と、見て学んできたことや自分が感じたことを書いてみましたが、いかがでしたでしょうか。次回は熊野先生が大会長をお務めになり、2016年の11月に第3回大会が行われるそうです。ご興味のある方は行ってみるときっと面白い発見があると思います。マインドフルネスを体感してみたい方は、ぜひぜひご一緒に!

 

※参考:日本マインドフルネス学会第1回大会レポート

【学びレポート】日本マインドフルネス学会は瞑想ブームをどう見ているのか?/第1回大会からの学び

http://musicbuddha.hatenadiary.jp/entry/2014/10/30/183101