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原始仏教ガール’s日記

気づけばすっかり仏教徒。 twitter @music_buddha

グーグルのマインドフルネス革命

『グーグルのマインドフルネス革命』(サンガ)を題材に、彼岸寺の松島靖朗さんとマインドフルネスと伝統仏教について、いろいろとお話させていただきました。お念仏とマインドフルネスの関係など、自分にとっても新鮮な内容がモリモリで、非常に興味深く、楽しい時間でした。
 

 
ちょっと長いのですが、以下、彼岸寺の記事からの引用です。
 
 
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最近よく耳にする「マインドフルネス」。みなさんはどのような印象をお持ちでしょうか。奈良の田舎で、いわゆる「伝統仏教」のお坊さんとして生活をしていると、あ〜また外国から横文字がやってきたなぁ〜ぐらいのことだったのですが・・・。
 
先日、彼岸寺の原始仏教ガールさん(中田亜希さん)が編集協力されている「グーグルのマインドフルネス革命」なる本が出版され、これはいい機会とばかりに「マインドフルネス」って美味しいの?とお話しを聞いてみることにしました。興味深いテーマも飛び出し、念仏との共通点も見つかった気がします。以下、対談形式でお届けいたします。

 

松島:

『グーグルのマインドフルネス』(サンガ)、ようやく読み終わりました! マインドフルネスというキーワードは知っていたものの、実際に書籍を手に取るのはこの書が初めてでとても楽しく拝読しました。実際にはいくつかの積読本がありますが、読み終わったのはこれが初めて(笑) きっと中田さんのおかげだな。これから、原始仏教ガールと伝統仏教ボーイ(笑)の二人で、この本やマインドフルネス、そしてお念仏や伝統仏教の世界について、話していければと思います。

 

中田:

伝統仏教ボーイっておもしろいですね(笑) どうぞよろしくお願いします。

 

松島:

『グーグルのマインドフルネス』でおもしろかったのは、マインドフルネスを「宗教の実践」ではなく「人間の営み」である、と捉えている部分です。「なるほど、問題意識、興味設定をそこに置くのか!」と関心しました。なるほど、人間の営みかと。その時点でよし、最後まで読もうと思いました(笑)

 

中田:

「人間の営みである」という部分は、わたしも取材をしていておもしろいと思いましたね。

 

松島:

そもそも読書前に、マインドフルネスは仏教の実践のどの部分をいっているのだろう?という疑問があったのですが、経典はない、お坊さんはいない、型にもこだわらない、悟りや涅槃も語られないとありました。ないない尽くしのマインドフルネス。マインドフルネスは仏教からメソッド部分だけを切り出し、シンプルにしたものであるという記述がありました。とくに悟りや涅槃をめざすものではないということがわかって、なるほど、仏教ではないのかと、何故か安心しました。

 

中田:

なぜ安心したんでしょうか?

 

松島:

自分の知らないところで悟りをめざす道を歩む人たちが大勢いるというわけではないということが分かって単純にほっとしたのが一つ。もう一つは、ああ、やっぱり悟りや涅槃をめざすという、仏教のどまんなかはわかりにくいもの、伝えるのが難しいものなんだなぁと再確認できたからです。そこを明確に外して、広めようとするマインドフルネスの戦略がすごいなぁと。お坊さんは、仏教を多くの人に伝えるために、仏教は悟りや涅槃をめざすものではありませんとはいえませんしね。

 

中田:

アメリカのマインドフルネスは、キリスト教イスラム教の人たちにもアプローチしていますからね。仏教徒の人口が1.2%という国では、仏教のどまんなかは伝えにくいのかもしれません。

 

松島:

なるほど。仏教ではないからこそキリスト教イスラム教圏でも宗教選択としてではなく入り込んでいけるということでしょうかね。う〜ん。考えれば考えるほど強い戦略ですね。あと意識高い系のお坊さんがマインドフルネスマインドフルネスうるさいのでなんぼのもんじゃ〜と思っていたんですが、本を読んで「なんだ仏教ちゃうのか!」とずっこけました(笑) でもまあ、マインドフルネスにもいろいろあるんでしょうね。

 

中田:

「意識高い系のお坊さん」って、彼岸寺のお坊さんたちとも違う層の人たちなんですか?

 

松島:

彼岸寺のお坊さんたちは、どちらかというと、意識高い系に見られているけど実際はいろいろな葛藤を持ってもがいているお坊さんたちという感じでしょうか。まあ、キーワードやイメージが先行してしまっていて、内実は定まっていないというのが実際のところではないでしょうかね。

 

中田:

この本とほぼ同時期に発売された『マインドフル・ワーク』(NHK出版)という本の中で、「マクマインドフルネス」という言葉が出てきていました。「アメリカではマクドナルドのように、マインドフルネスが大衆化している」、ということを表す新語のようですが、それほどアメリカではすごいブームになっているみたいなんですよね。日本ではまだそこまでのブームにはなっていませんので、松島さんが「マインドフルネスマインドフルネスうるさい」と思われるほど、一部のお坊さんたちにマインドフルネスが認知されていることは、逆にちょっとした驚きでもありました。

 

松島:

マクマインドフルネスですか! まさにぼくが言いたかったことを表現している言葉です。マインドフルネスにかぎらず、アップデートしたり、ゼロポイントを見つけたり、イベント開いて集客人数を競いあったり、仏教をテーマにした新刊書を読みかじってあれこれ言うお坊さんが多いんですよ。意識高い系のお坊さんはすぐ次のキーワードに移っちゃう、ああまた迷僧してるなぁと思います。

 

中田:

迷僧ってお坊さん業界では一般的な言葉なんですか?

 

松島:

ぼくが勝手に作った言葉です(笑) 迷僧。その昔「美坊主図鑑」なんていう本がありましたね。迷僧図鑑の間違いじゃないかと思いました。

 

あと、本を読んで、ちょっと皮肉な解釈ですが、Googleほど仕事の目標を実現不可能なレベルに設定する環境だからこそ、真にマインドフルネスが必要とされる、という事情があるのではないかとも感じましたね。それぐらいの負荷がある環境であるからこそ、マインドフルネスのニーズが醸成されていると。途中でたしか登山用具の話があったと思いますが、きっとエベレスト級の山を登る集団ですから、そのレベルに応えるマインドフルネスの凄さがあるのかなと思いました。なんとなく瞑想したいとか、ちょっと心落ち着けたいとか、なんでもかんでも「今ここ」教、「こころといのち」教の人たちのレベルの問題意識では、マインドフルネスは機能しないのではないでしょうか(笑)

 

中田:

「今ここ」教、「こころといのち」教、というのがちょっとピンとこないんですけど、どういった人たちのことですか?

 

松島:

あんまりこういう人っていうのが一言で言えないんですが、ほら、仏教をブームとして消費している人たちいるじゃないですか。御朱印をスタンプラリーしたり、自己啓発書もどきの仏教書、「今、この瞬間、ありのままで生きよう」みたいなキーワードが書かれてある本を読んで、なんだかその瞬間だけ気分が上がったりしている人たち。清らかなお浄土はあなたの心の中にあるんですよと言ったり、命があなたを生きているんですよ、宇宙大生命に生かされているんですよ、おかげさまですよみたいなことを言ったりする人たちのことです。蝉丸Pさんが、そういう人たちをまとめて「悟りジプシー」と命名されていて、なるほどうまいこと言うなぁと思いました。まあその人たちは悟りを探しているというよりは、消費活動なんでしょうけどね。

 

中田:

自己啓発と仏教は何が違うのか、自分なりの考えですが、自己啓発はその瞬間だけのもの。本なら本を読んだときだけ、セミナーであれば、そのセミナーに出たときだけ気分はよくなって、その後はまた暗い日常に戻る。だから、再び自己啓発に触れて、テンションを上げたくなる。そういったもの。本だったら「いいことは書いてあったけど、そうはいっても現実はね〜」という読後感。一方、仏教は修行道場だけで心が落ちつくのではなく、日常に戻っても心が落ち着いているもの。そして段階を経て深まっていくもの。そんな違いを感じています。

 

松島:

とても納得感がある考察です。

 

中田:

松島さんも書かれているように、自己啓発は消費させることが目的、仏教はそうではなく、涅槃に向かっていくためのものなのかなと思います。そこが混在してしまうと、仏教なのに自己啓発、となってしまって、松島さんがいう「仏教をブームとして消費」、言い換えると、「仏教なのにブームとして消費」という感じになってしまうのかなと思いました。

 

松島:

そうかそうか、仏教なのにブームとして消費とは言い得て妙ですね。なにもかも消費する。なかなか厄介な時代です。ストレス発散に衝動買いとか輪廻からの解脱はだいぶ先ですね。

 

それから、マインドフルネスの今後の展開に関して興味深かったのが、「今は自己認知と自己管理に関する科学的な研究が進んでいるが、今後は慈悲や共感の部分にも科学的アプローチでの検証が進んでいくだろう」という部分です。マインドフルネスが慈善事業、慈悲、布施行に関連付けて考えられるようになってくると、大乗仏教や菩薩行も科学的に検証されていくと想像できます。それはそれでワクワクしますね。こういう部分で仏教とマインドフルネスが交わっていく、もしくはステップとして関係しあっていくのかな?と広がりを感じました。

 

中田:

昨年の日本マインドフルネス学会でも、マインドフルネス=正念だけに特化して研究をしているのは偏り過ぎているんじゃないか、というような意見も出ていました。今はマインドフルネスと五戒の関係についての研究をしていらっしゃる学者さんもいるようです。

 

松島:

なるほど。戒がどのように作用するのかに注目するのは面白いですね。目には見えないけれども、たしかに授かった戒が自分の行いや解脱涅槃にむけてどのように作用しているのか。自分も興味あります。

 

それから、ヘッドスペースのアンディー・プディコム氏の経歴も面白かったです。転機にあたっての自分が大切にしたいのは「お坊さんでいることなのか」「瞑想を教えることなのか」という二択は究極の質問ですね。思うに「お坊さんでいること」が自分の存在意義であるならば、そんなお坊さんは必要ないのでそういう意味でもアンディー氏の選択は共感出来ました。

 

中田:

同じ文章を読んで、アンディーさんのことを「ちょっと軽いよね」と感じた人も、わたしのまわりにいましたよ。ちなみにその人はお坊さんではない普通の人ですが。

 

松島:

あー、その感想わかります。この文章だけ読んだら「なんだよ、中途半端かよ!」と思っちゃいますよね。あと、「お坊さんでいることであなたは何をしたかったのか?」を聞きたいですね。

 

中田:

そうですよね。本人に確認したいですね(笑)

 

松島:

脆弱性の話もとても興味深かったです。脆弱な状態=素の自分をオープンにすることが信頼醸成につながると。vulnerability脆弱性)を出すことってなかなか難しいですよね。このあたり、中田さんは日常生活の中でどのように実践されていますか?

 

中田:

うーん、そうですね、わたしの場合は「人をなるべく頼る」というのが脆弱性の実践になっているかもしれません。仕事に関しては、なるべく多くの人にアドバイスをもらうとか、日常生活では、開けられないビンは、誰かに開けてもらうとか。些細なことでもまわりを頼ることで、頼り頼られ、の人間関係が生まれ、自然と仲良くなっていくような気がしています。気のせいかもしれませんが(笑)

 

松島:

特に仕事の場合、多くの人のアドバイスがあったほうが良い企画になるでしょう。日常生活でも頼ることのできる誰かが身近にいるということはこれからますます重要になってきますね。こじつけではなく、おてらおやつクラブひとり親家庭にとってのそのような存在にならなきゃと思います。

 

しかしまあ、女の子、女性が困っていたら、頼られるまえに助けるぐらいのセンスが必要ですね。男は単純なので、女性の脆弱性に弱く(笑)あ、そうか、だから男性が脆弱性を実践するようになったらだいぶ世の中良くなるかもしれませんね。

 

中田:

女性も男性がときどき脆弱性を見せてくれると嬉しいと思いますよ(笑) 人間関係も深まる気がします。

 

松島:

赤ちゃん返りみたいな感じですかね(笑) 男はカッコつけたがる生き物ですからね。

 

中田:

仏教業界は、男性性の強い人が多く、見た目が怖い人が多いので、ときどき脆弱性を見せてくれたら、関係性がほんわかするかもしれないですね。

 

松島:

たしかに見た目が怖すぎる人、多いですね。私服姿がまた怖い。ぼくはできるだけ近づかないようにしています(笑) 子どものころからそうでしたが、集団活動が苦手で、いまでもお坊さんが複数人以上集まる場所では生苦しさを感じます。ああ早く解脱したいと。群れて余計に強がる集団ですから中田さんの要望は、かなり難しい要望だと思いますが、これからの時代に必要なのは、群れないお坊さんがときたま脆弱性を発露する、これですね(笑)

 

中田:

そうですね(笑)

 

松島:

本の内容に戻りますが、『グーグルのマインドフルネス』を読んだ印象として、自分がいいと思っているものをどのように広めるか、というメソッドをよくよく考えているなぁと感じましたね。「興味はあるけれどもやらない人たち」にどのようにアプローチしていくか、宗教性を排除することでそれをクリアーしようとしている点。科学的根拠を提示することでターゲットの納得感を獲得する戦略。それらの思想が注ぎ込まれたヘッドスペースというアプリケーション。念仏を広めるためのアプローチとしても参考になるストーリーでした。

 

中田:

たマインドフルネスを広めるためのアプローチを参考にして、お念仏を広めるときにはどのようなアプローチが可能だと思われますか?

 

松島:

やはり人を知る、時代を知るということでしょうね。人々や時代の興味関心がどこにあるのか。見え隠れする苦に、われわれ僧侶がどれだけ気がつくことができるか。そして、必要あれば手段として科学的なアプローチも利用する、ということだろうと思います。

 

中田:

「人を知る、時代を知る」というのは、お坊さんもマーケティングの視点をもつ、ということでしょうかね。そういう視点があると、今の世の中とずれがなくなり、時代に沿った法話もできたりしますよね。そうすると、わたしたち在家の人にとっても、仏教やお念仏が、自分ごととして、入りやすくなるんじゃないかなと思います。

 

松島:

法の中身は変わることがありませんが、伝え方やたとえ話は、時代によって大きく変わっていくんだと思います。たまに法の中身まで変えちゃっているお坊さんがいてマイッチングです(笑) しかしまあ、ぼくが常に気をつけていることは世間に迎合しないということですね。ぼくが教えを伝える相手、つまり聞き手の皆さんがどんな生活をしていて、何で苦しんでいるのか、これからどんな時代になっていくのか。想像力をフル回転させていくことがとても大切だと思います。

 

しかし、そこにとどまっていてはただの世間話になると思います。「さっきのお坊さんの話、なんだか面白かったけどただの世間話だったよね…」こんな感想もたれる方もおられるのではないでしょうか。仏法が説く内容は世間を出でる「出世間」(しゅっせけん)のことです。だから、世間話では見えにくいこと、自分事でないことを説かなければならないんですね。

 

話のうまいお坊さんはきっとたくさんいるのですが、それは落語家さんや漫談家さんに任せておけばいいでしょう。彼らのところに行けばもっといい話が聞けますし。仏法を広めていくということは、ほんとうに難しい道を歩んでいるなぁと感じます。

 

マインドフルネスは言葉としても認知が広がってきていますし、伝え手が熱心に活動されていますね。そのマインドフルネスに比べて、お念仏はまだまだやることだらけという状態だと思います。マインドフルネスは宗教色をそぎ落としていることが戦略としてありますが、近代においてたくさんの信者さんを獲得してきた新宗教と比較しても、同じことが言えると感じます。伝統仏教がやれていないことはたくさんあるのでしょうね。

 

中田:

なるほど。松島さんは元サラリーマンで、市場を見るようなお仕事もたくさんされてきているからこその視点ですね。貴重な視点なのかなと思います。

 

松島:

ありがとうございます。自分でもそのとおりだと思うのですが、でもまあサラリーマン経験があるから、ということではいけないですよね。どうすればサラリーマン経験をせずに、サラリーマン経験で得られるような視点をもって修行できるか、今後の僧侶育成という観点からも考えたいところですね。

 

中田:

なるほど。マーケ的な視点は仏教やお念仏を広める上でとても重要にはなってくると思うのですが、お坊さん自身からマーケ的なにおい(?)が染み出していると、在家から見て「なんか俗っぽい」というような感じもしてしまうんですよね。お坊さんにマネージャー的な人がついて、そのマネージャーが市場戦略を立てて、世の中と絡んでいくように方向づける、というような感じに見えるようにすると、よりよいのかなと思ったりもします。もちろん裏ではお坊さんとマネージャーは一緒になっていろいろなことを考えるわけなんですけど(笑)、表面的な見え方はお坊さんはあくまでも硬派でピュアに見えたほうがいいのかなと。わたしの中の勝手な思いとして、お坊さんに対するロマンがあって、お坊さんには世間のこととか、他人のことをあまり気にして欲しくないなあという気持ちがあるんですよね。本当に勝手な思いなんですけど(笑)

 

松島:

どうしても他人のことが気になってしまい、貪り怒り勘違いする煩悩まみれの自分にはなかなか難しいことです。「犀の角のようにただ独り歩め」ですね。マネージャーの存在というのはなかなか面白い視点ですね。まあリアルにマネージャーさんがいてくれると予定調整とかとってもありがたいです。だれか希望者いないかな(笑) 経典に書かれていることがまさにマネージャーであり、それを実践する姿がどれだけ如法(にょほう)に見えるか…ということかもしれませんね。

 

中田:

経典に書かれていることがマネージャーで、実践する姿が如法とは、どういう意味でしょうか?

 

松島:

マネージャーを「お坊さん」が歩むべき方向に導いてくれる裏方的な存在と定義すると、それはきっと「お釈迦さま」だったり、「お釈迦さまの言葉」(つまり経典)ということになるんだと思います。経典に書かれていることを拠り所に、行動し、実践して生きていくということが一つの理想ですね。「如法」(にょほう)という言葉があります。法の如く、尊い姿であるという意味で受け取っていますが、まさにマネージャーである「お釈迦さま」や「お釈迦さまの言葉」とともに生きていることであらわれてくる姿ではないでしょうか。 我々がつけるお袈裟は如法衣(にょほうえ)といいます。まさに法のごとき姿になる衣を身にまとっているのです。

 

中田:

なるほど。初めてうかがうお話でした。

 

松島:

本でちょっと物足りなかったのはマインドフルネスによってGoogleにどのような革命が起こったのか?という記述があまりなかったところですね。Googleは相変わらず企業として強いですが、マインドフルネスを行う人々が、つまるところ何を求めているのか?というのももう少し知りたくなりました。あ、今、中田さんに聞けばいいのか(笑)

 

中田:

わたしは個人的にはマインドフルネスというよりもテーラワーダ系の仏教瞑想、ヴィパッサナー瞑想、に取り組んでいます。

 

松島:

そうかそうか、ヴィパッサナー瞑想はマインドフルネスとは違うんですね。ないない尽くしのマインドフルネスと比べるとヴィパッサナー瞑想はどのようなものなんですか?

 

中田:

ヴィパッサナー瞑想もマインドフルネスと同じように、中心にあるのは「気づく」ということですが、前提として五戒を守ることがあったり、慈悲の瞑想を唱えたりするのが違う点なのかなと思っています。ブッダに対する信がありますし、涅槃を目指す、ということも大きな違いかと思っています。

 

松島:

う〜ん。五戒を守る! なんだかうれしくなりますね(笑) ブッダに対する信と涅槃を目指すお姿、本当にありがたいです。なんかどんどん中田さんのイメージが神格化していくなぁ。あ、仏格化か!? 五戒を守るということは、どなたかお師匠さまから戒を授かった上で戒を守る生活をするということでしょうか? それとも戒の内容を瞑想指導される方から聞いて、それを守るということでしょうか?

 

中田:

五戒は仏教書に載っているのを見て、こういうことに気をつければよいのか、と普段の生活の中で実践している感じですね。しかしながら五戒を守るのは難しくて、かなり中途半端です(笑) 

 

松島:

ちなみに、なぜ仏教瞑想に取り組んでいるんですか?

 

中田:

取り組んでいる理由は、最終的には解脱のため、という感じですかね。輪廻するのは嫌だなあという気持ちがあって、できればこれっきりで生きることは終わりにしたいと思っていて、そのために仏教瞑想をして解脱できたらいいなと思っている感じです。

 

松島:

いやはや、輪廻したくないから解脱したいですとさらっといってくれる女性がいることに感動しましたよ。ありがたいですね。

 

中田:

おおお! 意外なところに感動ポイントが!(笑) しかし、そんなことを言っておきながら、瞑想に対する真剣さがぜんぜん足りないので、また何かに生まれ変わって苦しむんだろうなと思っています。

 

松島:

信が確立されてませんねぇ(笑)

 

中田:

そのとおりです(笑) 松島さんは何のためにお念仏をされているんですか?

 

松島:

ぼくも中田さんと同じですよ。もう二度と輪廻したくない。六道輪廻を離れ悟りの境地を目指したいからお念仏を称えています。

 

中田:

お念仏の目的も輪廻から抜け出すことだったんですね。

 

松島:

お釈迦様が説かれた教えと鎌倉時代に法然上人が説かれたお念仏の教えに矛盾があっては信じることができませんからね。どちらも苦しみから逃れるための教え、一本道です。

 

ちょっとだけお念仏の教えにふれると、六道輪廻で苦しむ我々をすくいとってくださるのが阿弥陀さまという仏さまで、阿弥陀さまがつくられた苦しみのない悟りのための修行に最適な場所、極楽浄土に生まれ変わって(往生して)、そして仏となる。仏となって、昔の自分と同じように六道輪廻で苦しむ人々を救う側に回る。というのが、ぼくが念仏をする目的です。ちょっと強引かもしれませんが、お念仏ってつまるところ仏に任せる、ということなんですよね。仏を頼る。仏に対して脆弱な自分をみせる。ということなんです。脆弱な自分=凡夫と我々は言うのですが、凡夫の自覚をし、どうしようもならないことを仏に頼むということです。

 

中田さんの脆弱性の理解、実践の延長にもしかしたら阿弥陀さまがおられる日がくるかもな、そうなるといいな、と思っていますよ。急にセールスマンになったわけではないので安心してくださいね(笑) 南無阿弥陀佛。

 

中田:

とても勉強になります。「任せる」=「脆弱な自分を見せる」=ブッダに対する信、ということはわたしにとってもスムーズに理解できる内容です。

 

松島:

任せる相手が、自分と同じ人間であれば、疑いや不信感をもってしまうこともあるでしょう。でも人間を超えた存在、仏(ブッダ)に対する信仰ですから、思い切って任せることができるわけですね。情報が溢れ、退屈を嫌う現代人がマインドフルネスに求めるもの、仏教に求めるものはなんだろうか? それぞれ別のものなのか、いっしょに解決できるものなのか、はたして今のぼくにそれに答える能力があるのか? 色々と考えるきっかけをいただけました。とくに冒頭の「興味はあるけれどもやらない人たち」にどのようにアプローチしていくか。これに尽きますね。ぼくが僧侶として考え続けなければならないことは。

 

中田:

お坊さんでいることに、葛藤はありますか?

 

松島:

アイデンティティーになやむお坊さんは何時の時代も多いですが、その葛藤を乗り越えることも修行だと思います。乗り越えなければならない葛藤だらけですよ。

 

中田:

そういえば、石井光太さんの書いた『祈りの現場』(サンガ)という本がけっこう面白くて、この中にも、お坊さんとしてのアイデンティティー、存在意義についていろいろなやりとりがありました。そのことをちょっと思い出しました。

 

松島:

おお、またサンガ本(笑) 骨太の本が多いですよね、サンガは。早速読んでみたいと思います。アイデンティティーになやむお坊さんは何時の時代も多いですが、その葛藤を乗り越えることも修行だと思います。自分はどの段階か…よくわかっていませんが少なくとも昔よりは葛藤がなくなり、自分がなすべきことが明確になってきたように思います。

 

中田:

なすべきことというのは何でしょうか?

 

松島:

一言でいうと「お念仏を称える人を増やす」ということですね。娑婆で苦しむ人々を仏法、お念仏の教えを通じて彼の岸に渡すのが自分の役割だと確信しています。よく仏教では泥に咲く蓮の花の例えがいわれます。美しい蓮の花(悟りの姿)は泥にそまることがない。泥があるからこそ美しい蓮の花が咲く。泥がないと蓮の花は咲かない。泥が世間、蓮の花が出世間、といろいろと話ができる例えです。自分が蓮の花になることはもちろんですが、ご縁のあった人が美しい蓮の花になるために自分は泥にまみれる、もっというと泥になるんだなぁと考えるようになったんです。「私(わたし)を捨てて、渡し(わたし)になるんだ!」と目の前がクリアーになりました。

 

中田:

すばらしいの一言です。今このようなお話をいろいろとさせていただいて、信頼できるお坊さんはこんなに安心感のあるものなのかと今、感じているわけなんですけど、そういう個人的な関係性というのが、これからは必要とされていくような感じがします。瞑想会やお坊さんの講演会にいくことはありますが、聴衆として参加するのと、こういう感じで、一対一でやりとりするのとはまったく違いますね。これからはお寺と檀家さん、というよりお坊さんと個人、というようなつながりが求められていくんでしょうかね。かかりつけ医みたいな。いかがでしょうか?

 

松島

そう言ってもらえると嬉しいですね。社会の状況、人口動態をみてもどんどん家の仏教はなくなっていくと思います。単身世帯が増え、苦しみが個別化し、個の仏教として伝統仏教の興隆イメージを持っています。

 

中田:

これまでのお説教では、「ブッダは〜〜と言いました」のように、伝聞形式でのお話が多かったように思います。そういったお話ももちろん悪くないのですが、より苦しんでいる個人に突き刺さるのは、もっと個人的な仏教なのではないかと思いますね。いま松島さんが個人の言葉で話してくださっているような感じが、在家には非常に貴重で、豊かなものに感じるからです。先に挙げた、『祈りの現場』(サンガ)も、宗教者が個人として思っていることや感じたことを話していて、自分に刺さるものがあったように思います。

 

松島:

EVERYBODYはみんなをさす言葉ですが、今の時代「みなさんは◯◯ですよ〜」といったところでだれも自分のことを言っているとは思わないですよね。お通夜の時は特にそうですが、自分も死が怖くて仕方ないという死と向き合う当事者として「みなさん」ではなく「あなた」に語りかける必要があると思います。大切な方は最後に何よりも大切なことを教えてくださったんですからね。「ぼく」も「あなた」も死ぬんです。今日かもしれません。どちらが先かもわかりません。

 

中田:

なるほど。彼岸寺に関わっているわたしですら、お坊さんはちょっと遠い存在、と感じてしまいがちですが、今後は在家と僧侶がシームレスな関係になっていくといいなと思います。

 

松島:

これだけIT技術が発達した時代ですから、いわゆるご縁はこれからますます広がっていくと思います。そこで注意しなければならないのは、師を選び間違えないことかなとも思います。オウム真理教事件である裁判官が判決文の最後に「およそ師を誤るほど不運・不幸なことはない」と締めくくったことがいまでも頭に残っています。なんとなく新しいことをやっているお坊さんと新しいツールで繋がれる時代だ〜と言うレベルでは、あまりよい仏縁にはならないだろうなぁという心配があります。そうならないためにも、我々の精進が問われますね。もう中田さんも自分と同じように精進する人とくくっちゃってますが(笑)

 

中田:

くくっていただいてありがとうございます(笑) わたしも精進していきたいと思います。またぜひお茶を飲みながらお話したいですね。

 

松島:

はい。どうもありがとうございました! 次回はもっと脆弱性を出せるように修行に励みます。