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原始仏教ガール’s日記

気づけばすっかり仏教徒。 twitter @music_buddha

大井玄先生のご講演を聴いて

慈悲 とりとめのない話 セミナー

昨年の11月にASIAN AGING SUMMITで大井玄先生のご講演を拝聴して以来、すっかり大井先生ファンです。やっていらっしゃること(doing)も素晴らしいのですが、なんといってもありかた(being)が美しく、講演でお話を聞いていたり、本を読んだりしていると、自分の心が自然に凪いできます。

 

大井先生は都立松沢病院の医師として、現在も看取りの臨床を中心にご活躍されていらっしゃいます。昨日はその松沢病院の講堂にて、先生のご講演がありました。医師、ナースの方々が真剣な目で講義を聴かれている中、若干場違いな感じもしつつ、わたしも一番後ろの席でご講演を拝聴してきました。

 

ご講演の中では「論理が通用しない場面でのコミュニケーション方法」のお話が印象的でした。外国に行くと、言葉が通じず、それでもなんとか意思疎通しなければいけないという場面に遭遇することがよくあります。そんなとき、わたしの場合などは、どうしていいのかわからず、不安な気持ちでいっぱいになってしまいますが、認知症の高齢者は日本語での意思疎通がままならなくなっていますので、恒常的に言葉の通じない外国にいるような不安感を覚えている、ということなのだそうです。なるほどと思いました。

 

そういった場面では、話の内容よりも、笑顔(視覚)や触れること(触覚)、笑っているときの声のトーン(聴覚)などが非常に役立つのだそうです。話し方だったり、話すテンポだったり、それが相手にちょうど心地よく感じられるところにぴたっとおさまると、相手が安心できるのだそう。しかもその態度は安定していていることが重要で、今日は笑顔で接するけど、翌日は不機嫌に接する、などのばらつきがあってはいけないそうです。

 

スマナサーラ長老が以前、「たくさん優しくしてもらって、お世話になってきた人に対して、どうしてちょっとしたことで、あななたちは怒り、憎んでしまうのでしょうかね。」というようなニュアンスのことをおっしゃっていたのですが、ふとそのことを思い出しました。一貫した態度でい続けることって大事なんだな、と。

 

また、瞑想でも糸紡ぎでも何でもそうですけれども、頭で理解するのと、実際にできるとのはまったく異なります。大井先生が、患者さんの安心のために、いつも安定して同じトーンで話すことを心がけていること、自分のその日の気分などに左右されずに安定した態度を貫かれていることは本当に素晴らしく、なかなか真似できないことだと思いました。実践することの重要さをあらためて学んだように思います(ご講演の最中も先生は微笑みが絶えず、ミラーニューロンで自分の脳内も明るくなりました)。

 

先生はご講演の最後に、「認知症の高齢者に有効なことは、おそらく非認知症の高齢者とのコミュニケーションにも役立つのではないでしょうか」とおっしゃっていましたが、非認知症の高齢者だけでなく、非認知症の若い人たちにも、この姿勢はコミュニケーションの基本的な姿勢として役立つのではないかと感じました。

 

スタンフォード大学医学部の研究で「慈悲の心を持って医師が診療に当たると、淡々と診療するのに比べて治りがよかったり、入院期間が短くなったりする」という成果が得られているそうですが(ある記事を読んで知ったのですが)、compassionへの注目は世界的にも高まっているのでしょうか。今後、いろいろと発展していくのが楽しみです。

 

大井先生はご著書もたくさんありますので、もしご興味もある方は本屋さんなどでお手にとってみてください。高齢者以外の方にも、そうでない方にも、お勧めです。

 

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