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原始仏教ガール’s日記

気づけばすっかり仏教徒。 twitter @music_buddha

心細くなっているときに、宗教に頼りたくなる気持ち/「お寺はアジール」(サンガジャパン Vol.18より)

今年は春ごろから日本とドイツを行ったり来たりしながら、延べ半年ほどドイツのシュトゥットガルトに滞在しました。

 

ドイツ語はぜんぜんできないので、行く前には青山のゲーテ・インスティトゥートでドイツ語初級コースを受講しましたが、それだけではもちろん話したり聞いたりできるようになるはずもなく、最初はパン屋さんでパンを買うのも冷や汗。言葉以外のこともいろいろと大変で、最初は電車の切符の仕組みもわからないし、ゴミ捨てのルールもわからない。散歩中にすれ違う人に挨拶したほうがいいのか、しないほうがいいのかもわからない。ルールや慣習がわからなくて神経を消耗する日々でした。


シュトゥットガルトには日本人があまりいないため、黒髪おかっぱのわたしの外見は悪目立ちするようで、じろじろ見られ、それにも疲労を感じました。相手にマイノリティー差別の意識があるかどうかによらず、人からの視線は神経をすり減らすもとになるみたいです。

 

ちょっと疲れ気味だったとき、「仏教のお寺に行ったら少し寛いだ気持ちになれるかも、それに日本にいるときみたいに瞑想もできたらいいな」と思ってシュトゥットガルトで開催されているいくつかの瞑想会に参加しました。

 

行ってみると確かにそこは馴染み深い仏教徒の集う空間。英語も通じますし、そもそも瞑想会なので自分からはほとんど話さなくてもいいですし、異国の地にも自分が安心できる空間を発見できた・・・とほっとした気持ちになりました。最新号のサンガジャパンに、高野秀行さんの「聖と俗の厳しくもゆるやかな一線」という記事があり、その中に「お寺はアジール」という表現が出てきますが、まさにそのときの自分も瞑想会を「アジール」と感じていたように思います。

 

以前、東京でタンマガーイの瞑想道場に行ったことがあります。そこはタイ人のコミュニティーにもなっていて、日本に住んでいるタイ人の家族が子ども連れで瞑想をしに来ていました。その瞑想会の隅っこにわたしもお邪魔させてもらいつつ、そのときは「タイの人が日本で瞑想するってどういう気持ちなんだろうと」あまりピンと来ていなかったのですが、自分がドイツで瞑想会に出てみて、その気持ちがちょっとわかったような気がします。

 

ドイツで感じたのは、仏教ってグローバル、ということ。国籍や見た目は様々でも、瞑想会に来る人は、皆同じように坐って、同じことを目指して、同じやり方で修行する。大事にしていることも同じで、みんな同じお釈迦様の弟子。これって国境も何もかも超えて、究極のグローバルではないかと思いました。人間でありお釈迦様の弟子である。ただそれだけでとってもシンプル。「仏教という世界共通パスポートがあれば、どこにでも行けそうだわ!」と、そんな気持ちにまでなってしまったくらいです。

 

まあそこまでいくと我ながら飛躍しすぎ、と思いますが、「仏教は世界共通パスポート!」を良いように考えれば、仏教の教えが世界中に広まることで、安心空間がどんどん広がって、瞑想会というクローズドな空間に限らず、どこに行っても寛いだ気持ちで過ごせるようになりそうです。それってすごくよいことのような気がします。

 

逆に悪く考えれば、異国の地で心細くなっているときに、(仏教に限らず)宗教というものに出会うことで、悪い思想に簡単に影響されてしまうこともありそう。自分が感じる「ここなら安心」という感覚が強烈なので、それ以外の宗教のことを受け入れられないような頑な気持ちにもなりかねないと思いました。

 

仏教のおかげでいろんなことを考えるきっかけにもなり、本当に仏教に出会ってよかったと思う今日この頃です。今後は日本でまた瞑想修行に励みたいと思います。

 

ちなみに最初のころの心細さはあっという間に解消されて、中盤からはとても快適なドイツライフでした。

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▲バレエやオペラが毎日のように開催されていたシュトゥットガルトのオペラハウス