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原始仏教ガール’s日記

気づけばすっかり仏教徒。 twitter @music_buddha

「少女漫画の王子様に憧れるのもいいけれど、身近にだって魅力的な人はいるはず」と言われたお話

仏教 とりとめのない話

先日、大乗仏教のお坊さんやその仲間たちと仏教トークをしていたときに、「なぜ大乗仏教ではなくテーラワーダ仏教に惹かれているのですか?」と、爽やかな笑顔で尋ねられました。

 

わたしの実家は浄土真宗のお寺の檀家。先祖の命日にはお坊さんが月参りに来てくださっていました。お経の後には毎回恒例のお茶&ほっこりトークの時間がありましたが、その時間に仏教の話になったことはなく、どちらかというとわりと身近な話題、そのお坊さんのご子息のお話(高校受験のことだったり、その子の将来の夢だったり)が多かったように記憶しています。

 

「お坊さん+お経」という組み合わせには何度も何度も、それこそ数えきれないくらい遭遇していたものの、なかなか仏教の香りを感じることがなく、仏教に惹かれる機会を逸していたのかなと、いま振り返るとそんなふうに思います。もったいないことですね。

 

多くの人がそうではないかと思いますが、檀家になっているからといってその宗派の教義に自然に興味を持つかというと、それはなかなか難しいのではないかと思います。両親の宗派が違うことも多々ありますし(例えばわたしの母方の実家は臨済宗のお寺の檀家)、興味を持つきっかけや体験がなければ、付かず離れずのままなんとなくおとなになってしまうのではないでしょうか。

 

「少女漫画の王子様に憧れるのもいいけれど、身近にだって魅力的な人はいるはず」と、仏教トークをしていたときに言われたのは、「少女漫画の王子様」はテーラワーダ仏教のお坊さん、「身近にいる素敵な人」は大乗仏教のお坊さんということだったのですが、確かに、日本でご活躍なさっているスマナサーラ長老やプラユキ・ナラテボーさん等、自分が直接指導を受けたり、法話を聞くことのできるテーラワーダのお坊さんたちは素晴らしい方々。ネットや書籍を通じて出会えるアーチャン・チャーさんなどもたいへん立派で尊敬できます。この方々がトップレベルの、王子様級に優れた方であるのは間違いないことだと思います。

 

東南アジアなどの仏教国では、お坊さんになれば衣食住が確保されるので、修行はあまりせずにのんびり明るく暮らしている人たちもいるのだと、その話をしていたときに伺いました。自分で確かめたわけではありませんので実状はわかりませんが、わたしが今見ているトップレベルのお坊さんたちを「少女漫画に出てくる王子様」と例えるのも、まあそうかも、と納得できます。

 

日本には30万人もの大乗仏教のお坊さんがいるのだから「身近にだって魅力的な人はいるはず」というのは真理かもしれません。とはいえ、実家を離れてしまったわたしが今の暮らしの中でお坊さんに出会えるのはお通夜やお葬式のときくらい。先日そのような機会がありましたが、「うちのお寺がいま工事中で、もうすぐ立派に完成しますから見にきてくださいね」というお話は、実家での月参りのときと同様、それほど仏教色を感じるものではありませんでした。

 

でも、「身近にだって魅力的な人はいるはず」と力説されていた若いお坊さんたちは、ご自身が日ごろから社会のために何かお寺としてできることがあるのではと考えており、行動力もあって、仲間も多く、魅力的な方々(リア充!)。知性と社交性を合わせ持った彼らのようなお坊さんたちが中心となって様々な活動が広がっていけば、慣習としての大乗仏教を超えて、宗教としての大乗仏教と出会う機会も広がっていくのかもしれません。

 

また日本においても修行タイプのお坊さん、悟りをひらいているお坊さんたちの認知が上がれば、それもまた日本仏教への興味の窓口となるのかなと思いました。

 

いろいろと興味が尽きない秋の夜長です。