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原始仏教ガール’s日記

気づけばすっかり仏教徒。 twitter @music_buddha

アーチャン・チャーさんの「手放す生き方」で、悟りについてハッとする

ヴィパッサナー 瞑想 仏教

アーチャン・チャーさんの「無常の教え」を読んだあとに、続けて「手放す生き方」を読みました。

 

近所の本屋さんに置いてあったのが「無常の教え」だったので、自分は「無常の教え」を先に手に取りましたが、「手放す生き方」が日本で出版された最初のアーチャン・チャーさんの本。これから読まれるかたは「手放す生き方」を最初に読まれるのがよいかもしれません。「無常の教え」はその続編です。

 

その「手放す生き方」ですが、どのページのどの部分を切り取っても「うむむ、そうですよね、そうですよね」と唸ってしまう、カッコいい本でした。郷ひろみさんは踊っている最中、どのタイミングで写真を撮られてもカッコよく写ることを目指しているそうですが、この本もどこを切り取ってもカッコいいのです。

  • 楽しいこと、おいしいもの、興奮するもの、心地よいものといったものは何であれ、ただそれだけのものです。それは限界づけられたものであり、何か特に重要なものではありません。ブッダはあらゆる現象は等しい価値を持っており、結局のところ、すべてはただそれだけのものだと説きました。
  • 心に生ずるものは何であれ、手放すようにしてください。賞賛や見返りを期待してはいけません。もし、少しだけ手放すのなら、あなたは少しだけ平安を得るでしょう。もし、多くのものを手放すのなら、あなたは多くの平安を得るでしょう。もし、あらゆるものを手放すのなら、あなたは完全な平安と自由を知るでしょう。そのとき、この世界におけるあなたの闘いは、終わりを告げることになるのです。
  • 修行の道は、常に煩悩や習慣化した欲望と対立します。かつてサーリプッタ長老が托鉢に行ったときに、自分の中の貪(ローバ)が、「もっとたくさんよこせ」と言っていることに気がつきました。そこで、サーリプッタ長老は、村人に、「少しだけいただけますか」と言いました。もし煩悩が「早くよこせ」と語りかけるのなら、修行の道においては、「ゆっくりお与えください」と言うべきです。 

 

この本には「刊行によせて」というスマナサーラ長老の巻頭文があります。短い文章ですが、スマナサーラ長老のファンであればこの文章だけでも読む価値があります。「修行の道は、常に煩悩や習慣化した欲望と対立する」ということは、スマナサーラ長老も常々瞑想指導の中でおっしゃっていることですし、スマファンであれば、この本の内容にも抵抗なく入っていけると思いました。

 

涅槃について

ちなみに、先日「ミャンマーの瞑想」という本を読んで、

「涅槃とはどういう状態なのか」が書かれている本に出会ったのはこの本が初めて。「涅槃ってそういう状態のことだったんだ!」と目から鱗

と興奮していた自分ですが、「手放す生き方」の本の中にも涅槃がどういう状態かが書かれていました。語り手が違うので、もちろん表現は異なります。が、なるほどと。

 

その後、本棚からサンガジャパン vol.1 特集:瞑想とは何かを引っ張りだして読み返すと、なんとスマナサーラ長老もこの特集の中で「これが悟りです」と悟りについての説明をされているではないですか。つまり、自分はこれまでにも悟りについて書かれていた文章を目にしていたのに「ミャンマーの瞑想」を読むまではそのことに気づけていなかったということです。

 

「悟り」は自分がまったく体験したことがないことなので、何とも重ね合わせることができず、読んでいても自分の脳にひっかからなかったのだと思われます。「ミャンマーの瞑想」の場合は修行のスタートから涅槃まで順を追って経過が説明されていくので「ついにここから最終章! 涅槃ってどんな感じなのかしら・・・わくわく」という心構えで読むことができました。だから涅槃についてもこういうことなのかと気づくことができたのです。しかしそれ以前は涅槃についての記述があっても、それが何なのかピンと来ずスルーしていたのでした。涅槃というのは、今の自分の世界観とは違いすぎて、体験するのはもとより、頭で理解するのも難しい概念だったみたいです。

 

とは言え、いまは「ミャンマーの瞑想」を読んだ後の状態なので、頭では「なるほどこういうことだったのか」と理解できていますから、これまで読んだ本を読み返せばきっと、もっとたくさんの涅槃に出会えるような気がします。という意味でもミャンマーの瞑想―ウィパッサナー観法は本当にお勧めです。

 

「手放す生き方」の話に戻ると・・・

だいたい自分が悩んでいることや気にしていることなんていうのは、先人も同じように気に病んでいたり、行き詰まったりしていること。個人の悩みのポイントというのはどの時代でもどの国の人でも同じなのだなと感じます。アーチャン・チャーさんはステレオタイプに何かを決めつけたり、固定観念で語っていることはまったくないのですが、だからこそ、ああ、自分だってそうだな、と実感する事が多いのでした。普遍の真理に気づいて語る人の言葉の凄さですね。

 

そんな一冊と過ごした、初夏の夕暮れでした。