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原始仏教ガール’s日記

気づけばすっかり仏教徒。 twitter @music_buddha

アーチャン・チャー長老の法話より ー考えることは、智慧ではないー

先日のパオ森林僧院についての記事を読んでくださったかたより「どちらが正統派だろうが、自己観察の実践に変わりはありませんよ。」とコメントいただきました。さらにアーチャン・チャー長老の法話を参考にどうぞ、とご紹介いただきました。
 
これを読んでいたのですが、まさに今の自分のことのよう! 驚きました。以下は記事からの抜粋です。
皆さんは異なる場所で、異なる先生から、異なる瞑想方法を教わっています。こちらにいらっしゃったということは、瞑想に関して非常に混乱しているのだと思いますし、いろんな疑いに悩まされているのだと思います。ある先生は、この方法で瞑想しなさいと言い、別の先生は、別の方法で瞑想すべきだと言います。皆さんは、どの方法を実践すべきかと迷うでしょう。結果として、自信をもって実践することができなくなります。それで、混乱するのです。非常に多くの先生と、非常に多くの実践に関する教えがあり、そのせいで誰も落ち着いて実践することができません。その結果、疑いと不確かさでいっぱいになるのです。
ですから、皆さんはあまり考えないでください。考えるときは、気づきをもってください。これまで皆さんが考えるときには、気づきがありませんでした。
そこで、まず心を落ち着かせます。落ち着いて観察しているとき、考える必要はありません。観察していると、気づきが現れます。この気づきが、智慧(pañña)になるのです。
他方、考えることは智慧ではありません。考えるということは、心が当てもなく、何も知らずに、とりとめもなく回転しているということです。当然の結果、心は混乱します。考えることは、智慧ではないのです。

 

落ち着くために実践していたはずの瞑想。興味が湧いていろいろ調べて知識が増えるとともに、疑ったり混乱したりすることも増え、確かに落ち着きをなくしていたかも。「考えることは、智慧ではない」という言葉は重いです。
 
自分の瞑想実践をふりかえるきっかけになりました。素敵なリンクをご紹介くださったお気持ちに感謝です。