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原始仏教ガール’s日記

気づけばすっかり仏教徒。 twitter @music_buddha

だれかに話を聴いてもらうと元気が出るわけ ー傾聴と仏教ー

とりとめのない話 仏教 傾聴

先日「新傾聴ボランティアのすすめ―聴くことでできる社会貢献 」という本を読みました。*1

  • 傾聴というのは基本的には「人と人とのよりよい関係の構築」ということがテーマです。
  • 人の心は人でなくては癒されないという部分が非常に大きいと思います。
  • 聴き手である自分自身が孤独感や不幸感に浸っていたら、相手に共感して話を聴くことはできません。常に相手の話を素直に聴くためには、心を穏やかに保つことが大切です。穏やかな心は自分でつくるしかありません。

 

この本の次に読んだ本がスマナサーラ長老の「運命がどんどん好転する」という本でした。たまたま読んだこの本、驚くことに「なぜだれかに話を聴いてもらうと元気が出るのか」ということが書かれていました。偶然ですが、内容がシンクロしててラッキー。

本文からの抜粋です。

  • 人間が不幸を感じるのは一緒に話し相手になってくれる人間のいないときなのです。我々は心の中にいろいろと問題を抱えていて、そういう悩み苦しみを人に喋ることによって心がリラックスするのです。
  • 相手は人間でなければ駄目なのです。自分の部屋にひとりでいてぬいぐるみの人形や動物を相手に、どんなに喋ってもストレスは癒されないのです。 
  • 会社で辛いことがあろうと、家事でストレスが募ろうと、子育てでどんな心配事が持ち上がろうと、歳をとって淋しく、孤独感に苛まれようと、話し相手がいるだけで結構救われ問題は解消されていきます。
  • ですから我々はもっと、もっと積極的に友情という感情を育てるべきです。友情という感情を育てることによって、大きな幸福感が得られますし、その幸福感は奇跡的とも感ずるはずです。

傾聴がいかに人を癒すものであるか、ということがブッダの視点で書かれています。ポイントとしては、聞いてくれる友だちがいるかどうかで、自分の幸せ度がずいぶん変わる、ということですね。 

 

「話を聞いてもらって、幸せになりたい!」という願いをかなえるには友だちが必要。また、「傾聴ボランティアとして誰かの話を傾聴したい!」と願う人にとっても会話相手との「友情」を育てることが大事みたい。

 

そうなると、気になるのは「どうすれば友情を育てられるのか」ということです。「友情」というと少年ジャンプみたいですが、おとなになってからまじめに友情を考えると、なんだか難しそう。

 

しかしこれについても、本の中にばっちり答えがありました。

  • 友だちをつくることを負担に感じたり、なかなか友だちのできにくいときは、その人に友だちをつくる基本的な資格がまだ備わっていないということです。

そ、そうだったのですね。わたしはまさにこれです。基本的な資格がまだ備わってないのか・・・。

 

で、どうすればその資格が備わるかというと、

  • 友だちをつくるいいエネルギーを心に育てる方法として、お釈迦さまは慈悲喜捨の瞑想という方法を説かれました。
  • どんな人間も、人間ばかりでなくあらゆる生きものはすべて生命は大切であり、みんな素晴らしく頑張って生きているのだというおもいをつよく持って、「私は皆さんに対してすごくやさしい心をつくらなければいけないのだ」という使命感で、いついかなるときも自分は常にやさしい心で人に接していくことを実行していくという信念を日常生活のなかで実践していくことです。
  • この場合、友だちをつくろうという気持ちはぜんぶ消してしまいます。不思議なことに、もの惜しみや、わがままや、傲慢や、人を批判したがる気持ちなどはみんな消えてしまうのです。
  • 人間の幸福というのは人間関係の好転によるところが大きいのですから、人間環境をまず自分でよくしておく必要があるのです。そうすれば、自然に人は集まってきます。 

とのこと。

 

傾聴ボランティアの本に「穏やかな心は自分で作るしかない」とありましたが、あの本には「ではどうすれば穏やかに?」ということは載っていなかったので、ここはお釈迦さまの説く慈悲喜捨の瞑想をするのがよさそう! 続けていくうちに穏やかな心になって、きっと友情も育めるんじゃないかなと思いました。

 

友だちを作る方法とか、傾聴がなぜよいのとか、自分も含めていろんな人たちが一生懸命考えて、試行錯誤しながらやろうとしていることも、お釈迦さまは2600年前からお見通しだったっていうところが、本当にすごい。お釈迦さま、カッコよすぎます。