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原始仏教ガール’s日記

気づけばすっかり仏教徒。 twitter @music_buddha

仏教を勉強したいと言うとどうなるか

仏教

仏教に目覚めてから本やセミナーを通して仏教の勉強をしていますが、出会う人々に「あなたは学問のひとつとして仏教を勉強したいのですか? それとも仏教者になりたいのですか?」と頻繁に聞かれます。

 

質問の意図があまりピンとこなくて「なんでみんなそんなことを聞くのかしら。素人が仏教を勉強してはいけないのかしら・・・」と答えに詰まっていました。

 

しかしあまりにもよく聞かれるので、どうしてなのかとずっと考えていました。現時点で、こうじゃないかなと思っていることは、こんな感じです。

 

1. 勉強しているだけの人より、実践者のほうが断然カッコいいから

2. 仏教を勉強したい、と言っても漠然としすぎていて本気と思えないから

ということ。

 

1. 勉強しているだけの人より、実践者のほうが断然カッコいいから

ファッションで考えると、今年の流行や注目すべきデザイナー、ショーの内容から歴史まで、ファッションについてなら何でもよく知っている人がもし全然お洒落じゃなかったとしたら「あなたの知識はいったい何のため?? その知識を実践に変えて、あなた自身がお洒落な人になりたいとは思わないの?」と聞きたくなります。

 

仏教の場合も同様に、知識だけの人よりも実践できてる人のほうがカッコいい。仏教の場合「実践」といえばまずは八正道。しかし自分はまったくできている気がしません。まさに「あなたの知識は何のため?」と聞かれる所以なのでしょう。実践さえできていればむしろ余計な知識なんてないほうがいいのだそうです(パーリ語の先生曰く)。お洒落の知識なんかなくてもお洒落だったら知識なんて邪魔なだけ。それと一緒かもしれません。

 

2. 仏教を勉強したい、と言っても漠然としすぎていて本気と思えないから

もうひとつの理由。それは「仏教を勉強したい」ということがあまりにも漠然としているから。

 

わたしは理工学部出身で、大学と大学院で人間工学の研究をしていましたが、「仏教を勉強したい」と言うことは「理工学の勉強をしたい」と同じぐらい漠然としてるのだと思います。もし「これから本気で理工学の勉強がしたいんです」と言う人がいたら「理工学って言っても広いよ。その中で何に興味があるの?」と聞くでしょう。「人間工学です」ともし答えたとしても「人間工学だって、デザインもあればヒューマンエラーに関する研究もある。コミュニケーションデザインもあるし、幅広いよ。あなたがやりたい研究がここの大学でできると思ってるの? ここでは速く走れるスニーカーの研究とかやってないよ」などと親切心で言うと思います。

 

学問の世界は細分化されているので「仏教やりたい」と言っても「仏教の中の何を? え、初期仏教? 初期仏教って何のことか知ってる? えーとスマナサーラ長老の本で勉強してる? それとここ(大学)での勉強は内容違うけどわかってる?」ということなのだと思います。

 

しかし、ちきりんさんもブログで言っているように始点に立っていても、ゴールまでの道筋は見えません。漠然としていながらも一歩足を踏み出してみないと、その先に細かい世界があることだってわからないですよね。だからいろんな人に「あなたは仏教の何がやりたいの?」と聞かれながらでも、少しずつ勉強していけばいいのかなと思ってます。考えてるだけじゃわからないけど、やってみたらわかることはいっぱいありますよね。

 

あ、でもここまで書いててわかったのは、問いかけてくれた人たちは親切心で聞いてくれていたのであって、決して問い詰めていたのではないのだということ。自分がよくわかってないから問い詰められてるような気になっていましたが、それは自分の妄想だったのかも。いろいろ考えるきかっけを作ってくださった皆さまに感謝です。